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「何故女性はミソジニストになってしまうのか」

私はもみじ饅頭の県の山奥から、阪神タイガースな県へ大学進学で出てきた。
大学生の頃私は男嫌いだった。そして同時にミソジニストだった。
男が嫌いで舐められたくなかった。散々地元の田舎で「女だから」と舐められてきたので、都会では舐められないだろう・絶対舐められたくない!と肩を怒らせていた。
「クソ女だから奢られたいんだろう」
「スイーツ(笑)だからミーハーなんだろう」
そんなセリフたちのせいか、奢られたい女性やミーハーな女性は軽んじて良いと思っていたし、そんな女性のせいで私まで軽んじられるじゃないか!と憤ってもいた。
今思えば逆張りをしてただけだったし、なんなら「not男の思うバカで蔑んでも良い女」=「男が不快にならない都合の良い弁えてる女」の典型的な例になっていた。

「女だから」と言われるより、「女のくせに」と言われたかった節もある。男に舐められない能力が欲しかった。女子大に進んでいたのに、周りに男はいないのに、やたらイマジナリー男を敵対視して意識していた。
このイマジナリー男がめちゃくちゃクソだったために、謎にこじらせてミサンドリストだしミソジニストだったのだ。
当時の私こそ「君は誰と戦っとるんや」の状態だった。

クソなイマジナリー男に「女だから」と舐められ見下され蔑まれたく無いがために、イマジナリー男に叩かれそうな要素を排除した私は、ただの「弁えた女」であり、「名誉男性」であり、「都合の良い女」であった。
当時は全くしんどくなくそんな女性像を演じていたが、イマジナリー男が『イマジナリー』なのだと気付いて目が覚めてからはめちゃくちゃしんどい。
「黒歴史だ〜!」と嘆くよりもっとなんかしんどい。
過去私がそんなだったなんて認めたくないけど、めっちゃ認めてる。じゃないと今もこれからもフェミニストとして歩めないとも思う。

過去ミソジニストでミサンドリストだった現在フェミニストは存在する。私がそうだし、私だけじゃないだろう。
何故女性はミソジニストになってしまうのだろうか。
イマジナリー男が『イマジナリー』じゃない『現実』の場面に多く触れると、そうなってしまうのかもしれない。

戦わなくて良いイマジナリー男は消去!!!
そして戦うべきは現実の男でもない、現実の社会構造と慣習である。
大学生の自分に教えてあげたくて仕方がない。

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このエッセイを書いた人

エッセイスト/ジェンダー、雇用問題、メンタルヘルス。身体が弱すぎて人間に向いていない。

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