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ほしいろといき
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女らしさへの欲望と逃走

一般的に女性的と言われるようなものは、私の好みには合わない。女の子だからピンクね、とピンク色の物を押しつけられるのも嫌な気分になる。
私の一番好きな色は青で、髪の毛も刈り上げてツーブロックにしている。服でもウィメンズよりもメンズの方が大抵の場合好みに合っている。

そんな私だが、実家にある自分の部屋は最近までピンクで埋め尽くされていた。
子どもの時、自分の部屋を与えられる段になって、親が私の意見も聞かずにカーペットやらカーテンやら本棚の色などを全てピンクで統一したのだ。最近になって改めて確認したが、完全に親の好みで選んだらしかった。
全く趣味ではないインテリアを、大して拒絶もせずに長い間そのままにしてきた。そして今年になってようやく、カーテンを寒色系の色に変えてカーペットを芝生みたいな見た目のものに変えることにした。

でも今になっても、自分が好きなものに変えたいのに「本当にこれでいいのか?」と自問してしまう。
ピンクは全然好きじゃない。だけど女性のピンク色の部屋には「女性らしい」という付加価値があった。女性が女性らしいという事には価値があって、私はその権力を捨てるのが少しだけ怖かった。

女らしさ=偉い、権力があるという認識がある。
もし、もしもその性的魅力で上手くいけば、高収入の配偶者を手に入れたり、困ったときに助けて貰えたり、欲しいものを買って貰えたりして得をすることもあるだろう。
という刷り込みが私の中にはある。

私がそう感じている理由として、2つ例をあげる。

1つ目に、玉の輿という言葉。最近ではこの言葉はあまり使われているのを見かけない反面で、この言葉が意味する概念はほぼ変わらずに現代社会に受け継がれている。
二元論的な言い方になってしまうが、女性と男性の賃金格差は未だに埋まっていない。この問題を女性個人が「解決」するために異性と結婚することは、現代には全くないと言えるのだろうか?
そして、社会が組み込んできた可愛さや性的魅力、美しさと言った女性の規範は、その「解決」に役立つことは全くないのだろうか。

2つ目に、漫画「ONE PIECE」。日本の漫画やアニメなどのメディア表現を見て思うことなのだが、特にこの作品では傾向が顕著な上に国民的とも言えそうなほど大ヒットしているから今回はこれを例にあげる。
この作品では女性キャラであるナミがその性的魅力で異性をメロメロにすることで物事を思い通りに進める場面が複数回ある。また、「ONE PIECE」に登場する女性キャラのデザインは基本的に女性性の枠から出ず、男性キャラのそれと比べて著しく多様性を欠いている。まるで女性的ではない若い女性の登場が許されていないかのようだ。

上記の2つとも、一般に無意識的に浸透し、違和感なく受け入れられている。

それが、いわゆるボトムパワーというもので、男が女を支配する理由にしかならなくて、結局どんなに頑張って性的魅力を磨いたとしても、物みたいに搾取されて捨てられるだけで人間扱いもされずに報われないことを知っている。冷静に考えたらそうなのだ。それを何度も何度も自分に言い聞かせて、女らしさの呪縛から自由になるために、女性としてやって当然とされる脱毛を辞めたり、男ウケを考えて行動するのを辞めたりして、努力してきた。

でも、「可愛い」は一種の権力であり続けている。私の中で、そしてこの社会において。生活の中で、可愛く居たい、愛されたい、という理由から無意識レベルで自分に女性性を纏わせようとしたりしていたことがあったし、そういう自分に気付く度惨めな気持ちになっていた。

可愛いを纏うとテンションが上がる。愛されたいという気持ちは悪いものじゃないし、男ウケするという権威付けもあって、気付くまでは楽しくやれていたりする。
でも、どうして惨めなのかというと、他人軸に自分を見ていて、自分の好みや本当にしたい事は置き去りになってしまうから。
目的の為なら出来ることをすればいいという意見もあるだろうけれど、私は、他者からの承認のために自分を無駄にしたくない。

自分で自分を尊重することが、なんでこんなに難しいんだろう。
毎日、女らしくあれ、そっちの方が得だぞと唆す文化に抗って、闘って、そうしてようやく今の自分を作れている。

「自分の中にあるミソジニーと闘い続けてきた人をフェミニストと呼ぶのよ」と、上野千鶴子が「上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください!」という本で言っていた。
フェミニズムは自分の中のミソジニーとの闘いだ。救われることばかりじゃないし、こうして自分の中のミソジニーに気がついて愕然とすることだってままある。

ショックを受けて、自己嫌悪に陥る。
でもそれから逃げずに向き合い続ける。自分との闘いだ。
そろそろ自分で自分を人間扱いしたい。
自分でもそう思っている。

だから、自分を見失わないために闘っていたい。改めてそう思った。

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このエッセイを書いた人

they/them ノンバイナリー。はっぴーくぃあぎゃる。

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