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私のあんはっぴい・ぷらいど

『FROM THE HELL MAGAZINE』というタイトルのクィアZINEを発行してから、他人からそのクィア性が目に止まる機会が増えて「クィアだね」って言ってもらえることが多くなった。  
もちろん私、自分自身でもInstagramのプロフィール「はっぴーくぃあぎゃる」って書いてるくらいには自分のクィア性に自覚的なクィアなんですけど。  

でもそんな自分でも、自分はあまり「キラキラ」していない(ポジティブではない、弱さや傷付きの情報開示している)から、TRPとか東京オリンピックで使われた虹色ドレスとかの華やかなレインボーとは隔たりがあるように感じている。  

レインボーはLGBTQ+の象徴だけど、都合良く平和と多様性の象徴として見た目だけ簒奪されているように感じることが多い。  

レインボーウォッシュって言うらしい。
それは、6月のプライド月間の時に、大きめの企業が支援団体への寄付や現存の差別にはっきりと反対する文言を提示するなどといった具体的な姿勢を伴わず、ただ上辺だけで「ハッピープライド!」と言ってホームページを虹色にするだけでさも何かしたような気になっているという最悪の形でよく見られる。  
「すべての人が自分らしく生きられるように」みたいな、フワッとした抽象的な言葉で差別を差別だと明言することを避けて、ひたすら匂わせみたいに「やってますよ」とアピールをする。「うちの会社はLGBTQ+のこともちゃんと考えていますよ」というフリを外面だけでして、売上のために利用する。

虹色にすることで顧客から「なんとなく」のプラスイメージを獲得して、売上が上がれば本望、というお金稼ぎのことしか考えていないやり方。(ちゃんと権利向上のための団体に寄付とかしてください。LGBTQ+が差別されてる時には大々的に抗議してください。)

何もされないときよりもむしろ、レインボーウォッシュされたメディアが目に入ったときの方がダメージが大きい。傷つく。「関わらないでおこう」という気持ちになってしまい、彼らにレインボーの簒奪をされていることで、私はレインボーを自分のものだと思いづらい。

でも奪われたまま大人しく引き下がるのは悔しいから、プライド月間に向けて私は思いっきり街中で旗いっぱいはためかせて、写真を撮りまくってきた。(撮影はとれたてクラブさんです。ありがとうございました)。

普通の住宅街というのがポイントです。

特別なものじゃない。
今までもこれからも、ここにいる。出て行かない。
当たり前の日常風景の一場面として溶け込みたい。てか、既に溶け込んでるよね?

クィアがクィアとして生きることを、自分でも当然視したいし、当然視されたい。

キラキラしてなくても、誰かの役に立たなくても、ハッピーじゃなくても、私はクィアで、ここにいる。

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このエッセイを書いた人

they/them ノンバイナリー。はっぴーくぃあぎゃる。

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