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子猫を通して考えるジェンダー・バイアス

今年の春、子猫をお迎えした。ほとんど白猫の、ところどころにアプリコット・カラーの模様が入っている、可愛らしい顔つきをした子。ぼくもパートナーもそれはもうめろめろで、食事や睡眠から排泄に至るまで毎日のように一喜一憂している。その様を見たライター仲間の方に「完全に第一子を迎えた親ですね」と笑われてしまった。
 
ヴィクトリア朝を代表する英国小説家ジョージ・エリオット『サイラス・マーナー』の登場人物にあやかって「エピー」と名付けたその子は、出生時に医師によって女の子に割り振られている。猫を迎えると決めたとき、なんとなく「女の子に割り振られた子がいいなあ」とぼんやり考えていた。ぼくは親戚もきょうだいもパートナーもみんな男性に割り振られたひとばかりなので、「せめて我が子くらいは」という気持ちがあったのだ。この理不尽さを、“家族のだれか”と共有してみたかった。
 
Google先生に訊ねると、「雌猫は自立心が強く行動範囲が狭く、静かでおとなしい。雄猫は甘えん坊で縄張りを広げたがり、やんちゃで活発」とのことだった。なんでも野性の猫界において育児参加率は雄1割にも満たないらしく、基本的には雌がひとりきりで子の面倒を見るらしい。その本能が備わっているため、雌猫はツンデレな子が多いのだとか。
 
へええ、なるほどね。生まれ持った気質的にそうなんだったら、エピーもあんまり甘えてはくれないのかもしれないな。それ、ちょっと寂しいかも。しかしながらエピーは、そんな杞憂を吹き飛ばすほどに甘えん坊で、暴れん坊で、食いしん坊だった。
 
まず家に迎えた2日目くらいから、ぼくの胸やお腹や膝の上によじ登ってくうくう眠っていた。トイレや風呂場にまでついて回り、猫じゃらしに息切れするほど興奮して生後1ヶ月半の赤子とは思えぬほどの強めな狩猟本能を発揮し、家中飛んで跳ねて走り回って、あらゆるところ──立入禁止区域にしている物の多いぼくの書斎だとかキッチンだとかに侵入したがり、ごはんが足りない増やせと鳴き、ガツガツと大盛りを完食し、2ヶ月目にはケージの中の最上階(ステップが3段ついている高さ150センチ程度のもの)に軽々と登ってしまった。ちなみに同じ月齢の子猫の情報をInstagramで漁ると、「2ヶ月でやっと2段目に登ることができました!」「3ヶ月目の今日、ようやく最上階まで到達しました!」みたいな微笑ましいpostばかりである。
 
この子、もしかしてかなり、いや相当、特殊なタイプか……? 事前に調べていた雌猫の特徴に、まったく当てはまらない。四六時中べったりってわけではないが、ツンデレって感じでもない。THE 猫らしく気分が乗らなけりゃ撫でられるのさえ嫌がるが、甘えたいときはスリスリ体を擦り付けてゴロゴロと喉を鳴らす。ぼくがMacBookを開いていると「私を構え!」と言わんばかりにキーボードに寝そべり、腕に抱きついて執筆を妨げる。なんなら今も、指を押さえつけようとする肉球と攻防戦をしながらキーボードを打っている。あ、諦めて足元に降りてった。撫でてほしそうに体をくねくねさせてきゅるきゅるの目で見つめてくる。しかし屈しない。ここで抱き上げたら最後、ぼくの本日の就業時刻は真夜中になる。
 
でも、どうやらこの子がそれほど「特殊」ではないらしい。猫と暮らすのが初めてなため情報収集を兼ねてこの子専用のInstagramアカウントを開設し、猫飼いさんたちと交流をするようになったのだけど、エピーと同じく甘えん坊の暴れん坊の食いしん坊な「女の子に割り振られた子」もけっして少なくないことを知った。
 
もしかしてGoogle先生が教えてくれた情報には、ジェンダー・バイアスが潜んでいるんじゃないだろうか。エピーと暮らすうち、そんなふうに考えるようになった。もちろんどの記事にも“※個体差もあります” の注意書きが添えられていたけれど。
 
ここで人間界に立ち返ろう。かつてまことしやかに囁かれていた「男性脳」「女性脳」は、科学的根拠に乏しいものであるという事実は今や自明だ。原始時代に男性は狩猟を担い女性は採集と育児を担っていた名残であると言われているが、それも後付けの可能性があるとまで指摘されている。
参考: https://reskill.nikkei.com/article/DGXZQOLM276XJ0X20C22A5000000/
 
もし後付けでなかったとしても、これだけ環境の変化した現代においてもなお「性差」というものが本能として残り続けるものなのだろうか。ぼくは文化人類学を専門に学んだわけじゃないし、科学にも疎いけれど、外で働く「男性以外のひと」が増えてきたこの世の中で、その本能とやらは退化していかぬものなのだろうか。
 
雌猫ツンデレ説も、あれって結局、野性での話だろう。野良猫とか元野良猫には見られる傾向かもしれないけれど、イエネコにも未だ根深くその気質が残っているなんて、ちょっと疑っちゃう。いや、室内飼いで外敵に襲われる心配もないのに排泄物を砂で隠す習性は残ってるじゃんとか思うけど。でも雌雄における気質の差が少なからず論拠に基づく研究だかなんだかで認められてるとしても、「ただし個体差も大きい」んだったら、一般論とされていることには違和感を覚えてしまう。
 
雌猫ツンデレ雄猫甘えん坊説、真偽はわからないけれど、それを唱えるひとの中にはジェンダー・バイアスが存在している気がしてならない。たとえば人間の子育てにおいて言われる、女の子は共感力が高く男の子は活発、みたいなやつと同じで。刷り込まれたアンコンシャス・バイアスが、単なる“傾向”に過ぎないものを確かな特徴みたいに語らせているんじゃないか。おすましで母性(って言葉めちゃくちゃ嫌い)の強い女の子と、甘えん坊で活発な男の子。やっぱり人間と一緒だね、微笑ましいね。そんなノリで。
 
これを書いている今、時刻は日付が変わったところだ。ぼくの膝を占領できないエピーは、仕事が終わるのをじっと待っているうちに船を漕ぎ始め、眠ってしまった。この子が自分のことをどう思っているのかは、わからない。女の子だと思っているのか、それともそうではないと認識しているのか。訊くことができないから、ぼくはこの子に「彼女」を使わない。勝手にそう呼ぶことは、エピーを尊重していないことになる(もっとも猫に性自認という概念があるかどうかわかんないが、それは置いておく)。
 
ただもしエピーが「女の子」であるならば、甘えん坊で暴れん坊で食いしん坊でもおかしくはないんだよと声をかけてあげたい。そのままのあなたが最高に素敵だし、愛おしいし、尊いんだよ。まあ、わりに図々しいタイプだから、本人は「いっぱんろんが なんだって いうの? エピーは エピーなんだけど」くらいにしか思ってないかもだけど。

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このエッセイを書いた人

伊藤 チタのアバター 伊藤 チタ ライター

ヤケド注意のライター。 ノンバイナリー(they/them)/日韓露ミックス。教育虐待サバイバー。

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