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「身だしなみ」という言葉で強制しないで

お金がなさ過ぎて飛び込みで参加したバイトで、就労条件の説明のときに身だしなみとして「男性はヒゲを剃ってください」と言われているのを目の当たりにした。その対象ではない私ですら「もし自分がそう言われたら」と想像して、そこで働くのが嫌になった。

髭を剃れ、と言うこと。
自分の身体ではない他人の容姿についてあれこれと要求すること。
「清潔感」という言葉を盾に、本当に清潔かはさておき色々要求すること。

日常でよく見る風景だから慣れ親しんで素通りしてしまいそうになるけれど、これらはルッキズムで、他人を侵害する行為だと思う。

目次

「身だしなみ」とは?

「身だしなみ」って何なんだろう。そんなに偉いのか。
そもそもとして私自身が、「身だしなみ」としてすね毛や腕毛など、頭髪とまつ毛と眉毛以外のほぼ全ての人前に出る毛を駆逐する、という慣習にあまり納得がいっていない。毛を駆逐しなくても誰にも迷惑がかからないのに、「そういうものだから」という曖昧な理由で「そうなって」いるのを当然視される事がすごく嫌だ。

「身だしなみだから当然するよね?ね?」といった具合で半強制的に押しつけられたくない。毛を剃りたい人同士で、好きに脱毛パーティーでも何でも開催してくれ。

自傷行為を強要する不健全な世界

高校までは、「身だしなみ」だという価値観を素直に受け入れて毎晩風呂場で剃っていた。毛が生えていることで同級生に「だらしない」と思われたくなかったし、嫌われたくなかったから必死だった。
夜に剃っても、翌日の昼にはまた伸びてくる。だから、それがなるべく遅くなるように、なるべく深く剃れるように、刃を強めに当てていた。
たまに刃で自分の肌が傷ついて血が溢れる。
皮を削いでしまったり、内出血を起こしたりする。

嫌だった。怪我をすると悲しかった。でも、その時は「する」しか選択肢が無かった。「しないでいい」とは少しも思えなかった。
家と学校とを往復するだけで構成された小さな世界では、そこで嫌われたら人生が終わり、と思い込んでしまうような独特の緊迫感があったから。

自分で自分を傷つける可能性のある行為を「強制的に」しなければいけない事が、当時は気付かなかったけど、すごくストレスだった。

毛を自由にしても何も言われない環境が欲しい

そんな私は今、滅多に自分の毛を剃らない。剃るというか、むしろ刈っている。伸びてきた毛をバリカンで剪定する。それが私には心地良いやり方だから。
もう誰にどう思われても、「毛を剃れ」というメッセージを日常生活の様々な場面で受信しても、私はなびかない。

毛が生えてるからって別に誰にも(物理で)刺さったりしないしそれを見られることで「不快感を与える」とかもし仮に言われたとしても、そっちが勝手に不快になってるだけじゃん、慣れろよ、と思えるだけの強さを年月と共に手に入れた。

だからこそ、「身だしなみとして髭を剃ってください」とさも当然のように言われてしまう人間に思いを馳せてしまう。
髭を剃るのも、剃刀負けで負う怪我とは無縁じゃない。
そういうリスクを負う行為を強制するのは間違っている。

「最近だと髭脱毛している人も多いし」
そう事もなさげに言った職員の声が耳を反芻した。
「みんなやってる」とか「身だしなみ」とかじゃなくて、普通に気付けよ。当たり前のように他人の身体に口出しする権利が、さも自分にあるかのように信じて疑わない、その横暴さに。残酷さに。
それが悪意もなく今行われている。ここで。いや、どこでも。いつでも。色々な「善良な」人の手で。

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このエッセイを書いた人

they/them ノンバイナリー。はっぴーくぃあぎゃる。

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