ライターとして独立して3年、ようやっとぼくの収入が安定してきたので夫と相談したのち「そろそろマンションを買おうか」という話になった。都内でめぼしい物件を見つけ、不動産を訪ね、待合室的な個室に通される。まもなくしてやり手っぽい営業マンが部屋に入ってきて、演技くさい大仰な仕草でピカピカの革ケースから名刺を1枚取り出した。そう、1枚だけ。もちろん、渡す相手は横にいた夫である。
うわ〜〜〜出た〜〜〜〜〜〜!!
Twitterで見たやつ〜〜〜〜〜〜〜!!
そう叫びたくなるのをどうにか堪える。ていうかすぐさま「【速報】不動産屋に行ったら名刺を夫のみに渡されこちらは完全無視というTwitterでよく見るあれをやられました」ってツイートしたい。ツイ廃としてこんなにおいしいシーンはない。しかしそういうわけにもいかず、極めて冷静に「私にもいただけますか」と申し出た。
すると営業マンは鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔して、アワアワしながら革の名刺入れを探る。おい、さっきの華麗さどこ行った。てかあからさまに「妻(とこの人が思ったほう)に名刺くれって言われると思わなかった」みたいな態度を取るんじゃないよ。
そのあともまあ、酷かった。部屋の設備、オートロックのモニターだとか風呂を沸かすやつだとかのメーカー担当も、全員こぞって夫にしか名刺を渡さない。頑なに渡さない。夫かぼくが申し出るまで、絶対に渡さない。中にはぼくとは目すらほとんど合わせないひともいた。
極め付けは台所のメーカー担当だかなんだかのスタッフだっだ。ひと通りの説明を、なぜだかぼくのみに向けて行う。台所の説明ではぼくが主役なんですか、そうですか。へええええ。でもうちんちの炊事担当は夫なんですけどね。彼、料理好きだし。とかなんとかかんとか脳内でつぶやきながら思いっきり無視を決め込んだが、夫も夫でイラついていたらしい。
無反応なぼくを見てようやく察したのか台所担当スタッフは「もしかして料理は旦那さまが?! 素敵ですねえ〜!」と甲高い声で夫を褒め称え始めた。いやあんたそれ、担当してる全家庭の炊事担当の人に言ってる? まさか女性(とこのスタッフが勝手に判断した人)には言わないって、そんなわけないよね? 喉まで出かかった嫌味をなんとか吐かずに説明を聞くのは、けっこう体力と気力が要った。
彼はぼくよりも社会性のある人間だからそのときは一応のところにこやかに対応していたんだけど、帰り道に「俺は“料理のできる男性”が“素敵”だから料理をするんじゃない! 単純に俺が料理を好きなだけなのに!」とブチ切れており、そりゃそうだよね気分悪いよね、と電車内で愚痴りあった。
たしかにローンは、夫の名義で組んだ。でもそれは彼が正規雇用の会社員だからってだけで、金を出すのはぼくも同じだ。家はふたりの資産であり、ふたりの買い物である。それなのになぜ、「家は夫の持ち物」と見做されてしまうのだろう。そしてなぜ、いまだに「台所担当は女性」という価値観のままアップデートされない人々がいるのだろう。
しんどいな、「女性」に割り振られてこの社会で生きていく人生は。
ぼくは胸オペをしているし髪も短いしメンズ服を着ているけれど、背がとても低くて化粧をする人間だ。だからたいていの場面において、「女性」にミスジェンダリングされる。それ自体はもう、べつにいい。いや、良かあないけど。基本的に実生活では近しい友人たちにもほぼほぼオープンな状態で生きているが、こういう通りすがりのひとたちにまでわざわざ己のセクシュアリティについて説明したりはしない。ミスジェンより、めんどくささのほうが断然、勝つんだもん。あと単純に、それによって被る傷つきも怖い。
生まれたときに医師によって「女性」に割り振られたひと。「女性」として生きているひと。その全員が、いうまでもなく個人だ。「男性」の付属物でも、従属物なんかでもない。そしてみんながみんな、「男性」にモテたいだの付き合いたいだの結婚したいだのと思っているわけでもない。そもそもパートナーが「男性」だからといって、ヘテロセクシュアルとは限らない。パンセクのぼくだってそうだ。たまたまずっと一緒にいたいなと思う相手が、たまたま「男性」だっただけ。それ以上でもそれ以下でもない。
マンションなんていうおそらく一生に一度であろう買い物くらい、自らの頑張りを噛み締めながらしたかったなあ。夫も頑張った。ぼくも頑張った。そして、ふたりにとって居心地の良い住処を手に入れた。その主体は夫でもあるけれど、同時にまた、ぼくでもあるのだ。
不動産のスタッフさんに、この文章が届いたらいいな。「男性」っぽいひとの横にいる「女性」っぽいひとは、個人だぞ。頼むからそれを、忘れないでくれよ。