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私のシスターフッドたち

高野ひと深の『ジーンブライド』という漫画がある。

『違国日記』のヤマシタトモコが推薦している旨が書かれた帯のついた漫画だ。
"一緒に戦おう。クソみたいな世界でもがく私たちのクソみたいな毎日を知っている「私たち」がこの中にいる。"

敢えて大きな主語で書くが、「女性である故の生きづらさをケアしてくれるのって、女性だよね」と、私はこの漫画を読んで思った。とは言え、別にこの漫画は、生きづらさを感じた女性を同じ女性がヨチヨチしてるストーリーではない。そんな漫画ではない。

私が「女性である故の生きづらさをケアしてくれるのって女性だよね」と漫画を読んで感じたのは今回が初めてではないし、ゆざきさかおみの『作りたい女と食べたい女』、六多いくみの『いつかのいつか』、谷口菜津子の『今夜すきやきだよ』でも同じように"ケア"された。

生理以外で「ウッ、女であることでこんなにクソな気持ちになるだなんて」と思った時に私が手を伸ばすのは、私をケアしてくれるこの漫画たちだ。

漫画の登場人物が私をケアしてくれるわけではない。ただストーリーが、そこにある話が、「あ、コレ私の中にあるアレと同じだ」「アレは確かに存在したんだ」「モヤモヤしたっておかしくない事柄だったんだ」と私に思わせてくれるのだ。

私にとって、女であることで「しんどっ…」となることはもはや日常茶飯事である。

フェミニズムを知ってフェミニストとなって、日常の「なーんかモヤモヤすんなぁ」が解像度が上がったために、「アッ、これ間違いなくアレですやん…?」と察して「ウッ、しんどっ…」となるようになったのだ。

この構図を改めて認識した時には「フェミニズムなんて知らなかったら、なんかモヤモヤすんなぁで終わってたのかな」とも思い、フェミニズムに出会う前に戻りたいとも思ったりした。

でも、ついこの前の衆議院選挙で、「出会う前に戻ったりなんかしない!」と思ったのだ。

今、私たちが選挙で「こんなクソな社会のままで良いわけがないだろ!」と投票できるのは、間違いなく先人たちのおかげだ。でも、明らかにまだ社会はクソなままなのだ。

私は平成元年生まれ。それ以降に生まれた私より若い人たちに、とてもじゃないけど「今の日本はとても良い社会です」とは言えない。

「選挙には投票に行かなきゃダメだよ、だってね…」

その言葉に続く文章を、今これを読んでいるアナタ、考えてみて欲しい。それはどんな文章になっただろう。それは、思わず苦い顔になって口が歪むような、非常に醜悪なものになるんじゃなかろうか。

"選択制"夫婦別姓制度はいつまでもいつまでも「しっかりと議論をする必要がある問題」扱いされてるんだよ!

いつどこで誰でも性犯罪の被害に遭う可能性があるのに、緊急避妊用ピルの薬局での販売開始までやっと大きな一歩があったけど、既に何年もかかってるんだよ!

寝てる子を起こすなと性教育はおままごとみたいな内容なのに性的同意年齢の引き上げについて、「自分が中学生と性行為をして逮捕されるのはおかしい」と宣って反対した国会議員がいるんだよ!

「選挙に行かなきゃダメだよ、じゃないと、じゃないと…」

選挙の大事さは伝えたい。若者、そして特に若い女性にも投票をして欲しい。でも、私はとてもじゃないけど大きな大きな覚悟と勇気と決意が無いと、その続きを絶対に言えない。

私の父は、某県知事の「きれいな子は賢いことを言わないと〜」という女性軽視発言を、日本語の文法が崩壊していたために意味を捉えかねていた。でもアレは、毎日新鮮に絶望する日々を送っている女性なら察せられるものだった。
父は理解できなかった。私は理解できた。

それだけで「ウッ、しんどっ…」となって私は、私のシスターフッドたちである漫画に助けを求めた。
だが、「私の敵は男!」「男こそが我々の敵!」と言いたいわけではない。

でも、傷付いた私をケアしてくれているのは女性なのだという事実が、どうしても悲しいし辛いし、同時に、私自身のためにも私の後ろに続く若い人たちのためにも早くなんとかしなければ、と思うのだ。

私たちは早く、けどこれからずっとずっと、心を砕いて考えなければならない、なんとかしなくてはいけない。今私たちはどうしたら良いのか、と。

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このエッセイを書いた人

エッセイスト/ジェンダー、雇用問題、メンタルヘルス。身体が弱すぎて人間に向いていない。

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