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大学一年生の秋

大学一年生の秋。上京して初めてのディズニーシー、まだ夏の陽気が残っている雲ひとつない快晴の日。付き合いたての恋人が、すれ違ったハロウィン仕様のおめかしをしている女の子たちを見て、可笑しそうにこう言った。

「あの子達、なんで真っ黒なリップなんてしてるの?俺が女の子だったら、可愛く見られたいから絶対ピンクにするけどなあ」

その言葉に強烈な違和感を感じながらも、当時の私は

「自分が可愛いと思う色で良いじゃん」

とだけ返した。

最近は様々な体型や人種の人がファッション誌を飾ったりと、私たちの日常がようやく少しずつメディアに反映され始めた感覚がある。一方で、「強く美しい女性信奉」が知らずのうちに日常にどんどん侵食してきているような気もする。

SNSを開けばKPOPアイドルに代表される、「強い女性」を歌う細く若い人たちの動画が溢れ、女性が活躍する映画やドラマの主人公は高いヒールを鳴らして颯爽と風を切るすらりとした美人ばかり。

ありのままの自分を肯定するような広告の下着を買うか迷いながら、女性社長が細い体を浮き彫りにするようなスリムなドレスを着ている映画を見て補正下着をネットで探している。

ふと自分の将来の姿を思ったとき、夢に描く「成功した姿」は、同時に「みんなに容認される憧れの美しい姿」と言えるのではないか、と思う。
私は「黒いリップ」のままで成功することはないのだろうか?

メディアでは「受け身・少女・清楚」な従属的女性像を離れ、今はガールクラッシュと呼ばれるような「能動的・成熟した女性・bitch」な女性像が世界を席巻している。

そんな強い女性たちに力をもらったり、勇気づけられることもあるけれど、その中で彼女らはかつてと変わらず過酷なダイエットに身を投じ世間から堂々と容姿をなじられることに笑顔で耐えている。この時の彼女たちは日常的に様々なジャッジにさらされる私たちの映し鏡だ。

一見抑圧から解放されたように見える今を生きる私たちは、今度は「美しく消費される私」を「自ら選んでいる」ように思うことを強制されている。

この強制を拒否することは「成功」から離れることのように感じて、私は今日も鏡を見ながら「とりあえず今日もピンクのリップにしておこう」と思うのだ。

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