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ほしいろといき
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「恋愛」と「結婚」との距離

 20代半ばから後半に差し掛かったとたん、「結婚」という言葉がこちらの顔色を窺ってくるようになった。コイツのことなど無視しておけばいいが、環境がそれを許さないきらいがある。

 友人との会話での知人のSNSでの結婚報告を見たとか、その本人が結婚するとか言う話が発端だ。子供を授かった友人もいる。どこか違う世界線の話のように笑いながら聞いていると、たまに会話がこちらに飛んでくる。

「彼氏いるんだよね?結婚とか考えないの?」

 あ~~~またかあ。恋愛をしているか、していないかで、話題選択の判断が下される。恋人がいれば、次の「結婚」についての話題が始まる。相手も円滑なコミュニケーションのために、善意で話を振ってくれているからこそどんよりとした気持ちになる。

 私は今、異性の恋人はいるが、結婚については考えていない。というか、考えたくない。結婚というゴールに向かって恋人との関係を築くことはそんなに良いことなのか。どちらかに苗字を変えることを強いて、「奥さん」「旦那さん」と呼ばれる関係になるのは嫌なのだ。

 「そんな話題出たことないや~~とりあえず仕事頑張るよ~」と適当に流すか、率直に今の結婚制度に対する不安を伝えていたが、最近は質問をされる回数が増えてきて「恋人居たら考えなきゃいけないのかよ!!」と、夜に風呂の中で逆ギレするようになってきた。結婚について考えたくない、と思えば思うほど考えてしまう。

 

 ある友人はこんな風に言っていた。友達が結婚したり家を買ったりしていると、人生ゲームで何マスも、ビューンと先に行かれた感覚になる、と。

 本当の人生はゲームより複雑だし、みんな「結婚」を通過するわけじゃないから、そんな悲しいこと言わないで。あなたの人生はすでに素敵なものになってふよ。一生懸命、気持ちを伝えようしたが、「そうだね」の返答からは、私の言葉が上滑りしたのを感じた。

 彼女が恋人を作ることよりも、友人と遊ぶ方が気楽で、趣味に没頭していたい、と話していたのを私は知っている。それでいい、充分満たされているとどうして思えないのだろうか。ただただ悲しく思いながら、自分がどこかで加害者となってそういった価値観を押し付けていたのではないか、と、自分を責めた。

 日本社会には、恋愛の先にある結婚を経ることで満たされた人生を送ることができる、社会の中で承認され満たされた人間になれる、といった価値観がかなり根強く残っているのを感じる。その価値観に疑いを持たずに、悪意のない言葉の槍を降らせる。

彼氏はいつかできるって。

仲のいい男の人はいないの。

良い感じじゃん、その人と付き合っちゃえば。

 なんでも恋愛の枠組みにあてはめ、あたかも全員が恋愛をしたいかのようにあてはめる。ある時までは恋愛ネタは女友達のなかでテッパンだからみんなに話を聞かなきゃいけない、そうすることで自然な会話ができると思い込んでいた私も、こういった会話に参加していた。

 異性愛を前提とし、恋愛の先に結婚があると確信するこの会話が、恋愛・結婚は今必要ないと思っている人にとっていかに苦痛であるか。

 恋愛・結婚は必修ではなく選択科目であると認識し生活する人も多くいる。一方で、その認識がない人や、両方の価値観を持ちながら揺れている人もいる。

 様々な価値観を持つ人がいていい、と言うのは簡単だが、いまだに「ある年齢までに恋愛・結婚していない女性=満たされていない」と考える風潮がしっかりと残っている。恐ろしいことは、それがまた社会全体の風潮として、現在の子供世代にも伝わっていってしまうことだろう。

 この根強い潮流に対して疑問を投げかけ、言葉を紡いでいくしかないが、たまに疲れてしまう。小さな抵抗でしかないのかもしれない、何も変わらないのかもしれない、と。それでも同じ想いの人たちと言葉にして、投票などの行動に移して、頑張ってみようと思う。現状における結論だ。

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このエッセイを書いた人

しがない社会人/フェミニズム/教育/漫画/アニメ/民俗学に興味がある。

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