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ほしいろといき
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「女性」じゃなくても「女性差別」を受ける

人間として尊重されたい。

この社会には他人を尊重する人としない人がいて、私は普段自分の周りを他人を人間として尊重することのできる安全で安心で平和だと感じる人やもの、環境で覆って平和を保っているけれど、たまに尊重しない人がそこに突っ込んでくるとびっくりする。

それが、女性として社会に見られること。

たとえば。

  • 余裕で人が通れる広い歩道でいきなり大声で「邪魔!」と叫ばれること。
  • 駅構内で故意にぶつかってくるおじさんに遭遇すること。
  • 「女性だから、この仕事向いてないと思うよ?」と勝手に仕事を取り上げられること。
  • 街中で知らないお兄さんに「イケてるね~」と頼んでもない謎のジャッジを下されること。
  • 怖くてダッシュで逃げると「自意識過剰」と嘲笑されること。
  • スカートに手を入れてくる人間に遭遇すること。
  • それを他人に話すと「可愛いから」と被害者である自分の所為にされること。
  • 加害者が社会的制裁を受けることは殆ど無いこと。

女性だから?
いいえ、女性として社会に見られていて、自分が女性だと思った人間を自分の好きにする権利があると思っている人がいるから。

女性差別(この言葉は女性ではないジェンダーアイデンティティを持つ人間を排除する言葉だから好ましくないが、便宜上今回はこの言葉を使う)を受けるのはシス女性だけではない。
トランス女性も、ノンバイナリーも、Xジェンダーも、クィアも、女性として他人に見なされる事のある人間は等しくその差別の対象だ。

そういう面で、フェミニズムはシス女性のためだけのものではない。

今、SNSでフォロワー数が多くて知名度のある「フェミニスト」の中にはトランスジェンダーの人権に対して興味がなくてむしろ積極的に排除しようとしている人もいる状態だ。でも、トランスジェンダーのことを排除したり無視したりした状態でされる「反差別」運動に、どれだけの意味と社会を変える力があるのだろう。

女性として社会に見られる私は、フェミニズムと出会ったことで自分の権利について知り、また差別に遭った際にも正しく怒ることができた。
だからこそ、私が救われて、また、同じように救われた人が少なからずいるであろう「フェミニズム」を、空虚なものにしたくない。フェミニストを名乗るのであれば、当然その中に内包されるトランスジェンダー女性やクィアの権利についても声を上げて欲しい。だってそれらを分けることに意味なんて無いから。

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このエッセイを書いた人

they/them ノンバイナリー。はっぴーくぃあぎゃる。

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