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ジェンダー規範に囚われず生きてる人を見ると愛しくなる

バイト先のバックヤードに、青柳の一口ういろうが沢山置かれていた時があった。味は確か5種類。白いのとピンクのと抹茶と小豆と黒糖。
シス男性の同僚がピンク色のういろうを可愛いからという理由で選んでいて、可愛かったので思わず「ずっとそのままでいてね」と口走ってしまった。

可愛いものを可愛いという理由で選べる男性表象の人間を見ると愛しくなる。トキシックマスキュリニティと闘っているんだなあと思うから。
そのまま無邪気に屈託無く、ジェンダーに関係なく欲しいものに手を伸ばし続けていて欲しい。

誰しも可愛いものを「可愛いから」「癒やされるから」という理由で選んだり楽しんだりする権利がある。可愛いに性別は関係ない。
でもたまに、「クレープなんておじさんが食べるのは恥ずかしいから」などといって自分の属性を理由にスイーツを自粛している人を見かけると切ないなと思う。自粛しなくてもいいものを自粛したことで人生の楽しみを失ってしまっているように見える。

私は私で押しつけられる女らしさと闘ったりしていて。今はもはや死語だと思うけれど「女子力」とかいう言葉を聞いた日には残念だな~と思う。生きているだけで日々細々と感じている「らしさ」の押しつけに抗いたいし、だから、可愛いものを屈託無く愛せる男性表象の人を見ると「一緒に闘おうね」と連帯の気持ちが湧いてしまうのだろう。

このまま、「可愛いものを愛でる男性表象の人」と「女らしさに抗う女性表象の人」とでお互いに闘わされず(例えばだけど「男の方が『女子力』高いなんて女は何やってるんだ?」とか言われたくない)一緒にジェンダー規範の拘束力を弱められたらいいね。

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このエッセイを書いた人

they/them ノンバイナリー。はっぴーくぃあぎゃる。

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