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擬態していた「女の子」が目覚めた、その後

以前私が自分のジェンダーアイデンティティを「ノンバイナリー」だと気がつくまでの22年くらいの葛藤について語ったけれど、今回はそんな私がノンバイナリーという言葉を獲得してからの事について触れてみようと思う。

目次

言葉を得ることの効用

自分がノンバイナリーであると、自覚してからは色々なことが早かった。
ノンバイナリーという言葉を得ると、途端にSNSや行く先々のクィアイベントで仲間ができていく。
というか、言葉を得たことで以前は「女性として生きているけれどどこか適合出来ない自分」としてどこにも行けず閉じこもっていたのが行ける場所が増えたというべきか。行動範囲が少し広がって、自分と似たアイデンティティの人に出会いやすくなったというのがあると思う。

例えば、自分の心に合わないような女性用の腰が絞られたスーツではなくて、肩幅を広く見せたりボディラインの曲線を抑えて見せるスーツが欲しくてOPTのスーツを見に行った時とか。
お話しした担当者さんと下着について(下着も売っていた)、「女性用下着が嫌だけど生理とかで股から出てくるものをキャッチするにはメンズの下着よりもやっぱり女性下着の方が合っている。でもやっぱり精神的に嫌だ」という話をしたときにお互いその不快感について分かり合えたのが個人的にすごく嬉しかった。

あとはトランスマーチに行ったときとか、私はノンバイナリーフラッグを構成する4色をコーディネートに取り入れて参加したけれど、それに気がついて「私もノンバイナリーなんです」と言う人に出会えたりして。
たまたまタイミングが良かったのかも知れないけれど。
自分を表現する言葉と出会ってから、それまでと比べて自分と同じだったり近かったりするジェンダーアイデンティティの人と出会う機会が増えた。自分のアイデンティティを認識して言語化することでマイノリティ同士でも繋がることが出来るのだなと思った。

繋がることで、自分のアイデンティティに関する他の言葉もどんどん覚えていく。
ありがたいことに、もう一人ではなかった。

身体違和について

私は基本的にはノンバイナリーだという意識で生きているけれど、時折訪れる身体違和から自分をトランスジェンダー男性なのかなと思う時がある。

男性と女性どちらに親しみを感じるかといえば、「女性」として見られて女性差別を受けている面では女性の仲間だと思う。でも、なんで私はPMSが来て精神が落ち込むと、男の腕が胸が肩幅が欲しかったと思って涙ぐむのだろう。

私は声が高くて、身長も低くて、この先ホルモン注射とかしても自分が思う完璧な「男」にはなれない。手術してもホルモンをやっても、「本物」の身体は手に入らない。(ノンバイナリーの身体はノンバイナリーだし身体に男も女も本来なら無いのだという事は分かっていてもどうしてもそう考えてしまう)。

バイナリーなことを当然視する社会に生きすぎて、中途半端じゃないのに中途半端なように思えてしまってしんどくなるときがある。

結局それっぽく寄せる事しかできないのなら、いっそのことこのままで良いという気持ちがある。それならまだ希望には添わないけれど今の身体のままで何も失わず生きていいじゃないか。そう自分をむりくり納得させて、あと何年耐えればいいんだろう。

自分のなりたい体の話

小澤美由紀の短編集「ピュア」に、高額な金を出せば身体を組み替えて完全に女の身体から男の身体になれる(逆も可能)装置が出てきた。あれが実在したら、私は使うのだろうか。背が高くなって声も低くて、腕に血管が浮きまくっている、フラットな身体を手にして私は感動するのだろうか。

想像したら、PMSの時期特有の繊細さも相まってちょっと泣けた。

OPTのスーツを着て鏡の前に立った時のことを思い出した。シルエットが男性っぽく見えるような縫製の飾りっ気のないシンプルなスーツだ。
やっと求めていた自分になれた気がした。Gender euphoria(ジェンダーユーフォリア)ってこういうことなんだなと思った。

自分が思うジェンダーアイデンティティと合致する見た目になりたい。

そう思う所まで到達した。

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このエッセイを書いた人

they/them ノンバイナリー。はっぴーくぃあぎゃる。

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