死にたくないのに、死にそうにさせられている
死にたくない、という言葉が頭に浮かぶ。偶にじゃない、結構頻繁に。
死にたくない、死にたくないのに、死にそうにさせられている。
生きたい、じゃなくて死にたくない、なのはまだ「生きたい」と積極的に思えるほどここを自分の居場所だとは思っていないから。
自分の居場所だと思えない。
社会を。男女二元論と家父長制と異性愛規範とがまだゴリゴリに強いこの世界を。
ある日リビングで両親が、近々行く夫婦旅行のリサーチに旅館のレポ動画をYouTubeで見ていた。日本で一番良い旅館とされるそこは、浴衣の色が男女で青と赤に分けられていて、それを見た私は吐き気を催した。
ノンバイナリー。
男でも女でもない、「違う」ということは分かっていたが最近そう名前のついた私の違和感。
男か女か聞きすぎ!聞かれすぎ!!!
世の中男と女で分けられることが多すぎて。
例えばモバイルSuicaも男か女か選ばないと使えないから、なんかもうやけくそになって「男」で設定している。
病院に行っても問診票とかに性別記入欄があるから、いつもチェックしそびれたフリをして空欄で出してる。
性別で区切られたくない。初対面での「女性ですか?男性ですか?」、何も聞かれたくない。ていうかどっちであってもあなたの人生にはこれっぽっちも関係ないのにと思う。
でもそこで力強く「ノンバイナリーです!」と言える関係性でも安心な環境でもないので「お、おんなです……」と言う。言わされる。
カムアウトさせられるか自分のアイデンティティについて嘘をつくかの究極の二択を迫られて、仕方なく言わされただけなのに自己嫌悪に陥ってしまう。
自分では自分のことノンバイナリーだってはっきり自覚してるし分かってるのに、男女かどっちかしかあり得ないと信じ切っている人間に対して「ノンバイナリーです!!!」とキラキラの圧で強めに行けるタフさを常にいつでも出し切れる訳ではなく。
世の中の人間、全員アライになって欲しい
タフじゃない。だからしんどい。
当事者が当事者としての色々なリスクを負いながら自分のジェンダーアイデンティティのあり方のために無知や無理解と闘うのしんどい。
ねえ、死にたくない。
死にたくないから、ノンバイナリーやクエスチョニングなど男女二元論に当てはまらないアイデンティティを持つ人の命や健康のために、非当事者でダメージが少ない人が代わりに少しずつでも行動しておくれ~~~と最近アライ頼みで考えている。
世の中の人間、全員アライになればいい。