MENU

自然生殖可能性があると見なされた、社会に認められた側のカップル

2022年2月9日に開かれた同性婚訴訟での国の主張が、あまりにも差別的で、知ってからしばらく放心していた。

その翌日の2月10日は私の誕生日だったけれど、誕生日の嬉しさと国が頑として同性婚を認めない虚無感とに挟まれて複雑な気持ちでいた。

「社会に認められていないから、国も認めるわけにはいかない」だって。なにそれ。
「結婚の目的は生殖が全てではないけれど、男と女のカップルなら自然生殖可能性があるので認める」だって。何様のつもり?
論理的に破綻していることを、国が堂々と厚顔無恥にも主張している。
信じられなさ過ぎて、脱力しちゃったよ。
私ってそんなに堂々と国から差別されるんだ?税金払ってるのに?国籍も日本なのに?
きちいな。とんだ誕生日プレゼントだな。

信じられなさ過ぎて、出る見通しすら立っていないのに日本から出たいなと本気で思ってしまった。

私は今たまたま異性愛をしている(この国での同性愛の差別され具合を見ていると全然「たまたま」ではなく、同性への気持ちを何度も自分でも周りからも殺し殺されして抑圧していた結果、抑圧しなくても良いぽっと出の異性愛の方がいとも容易く叶ってしまったという現実があるのだと捉えている)けれど、基本的には同性に惹かれる傾向の方が強い人間だ。

「今異性と恋愛してるから良かったね、社会的に認められて。」じゃなくて、同性に恋する自分は紛れもなく自分の一部なのだ。切り離すことは出来ない。

たとえ今異性と恋愛していても、自分のアイデンティティを否定することで受けるストレスや抑圧は無視できない。

「自然生殖可能性があると見なされた、社会に認められた側のカップル」って、なんなんだろう本当に。

なんなんだろう……。

なんなんだ……

異性と恋愛するか、同性と恋愛するかで、その対象でこんなにも頑なに分断されるだなんて思ってもみなかった。
もうすぐ国に認められるかも知れないと淡い期待を抱いていたからこそ、誰もが納得出来るような合理的な理由もなしに頑なに差別される事への落胆が大きい。

本当に、なんなんだろう……。

よかったらシェアしてね!

このエッセイを書いた人

they/them ノンバイナリー。はっぴーくぃあぎゃる。

エッセイはライター自身の見解や分析であり、サイト参加者全体を代表していません。

エッセイや画像の著作権は当サイトに帰属するか、著作権者より許諾を得て使用しています。許諾なく転載等の二次利用はご遠慮ください。

目次