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ほしいろといき
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怯えられる責任(ベターな妖怪)

 “かまいたち”という現象ないし妖怪がある。Webio辞書によれば「日本に伝わる妖怪、もしくはそれが起こすとされた怪異である。 つむじ風に乗って現われて人を切りつける。 これに出遭った人は刃物で切られたような鋭い傷を受けるが、痛みはなく、傷からは血も出ないともされる」とのこと。

 男性たる私は、そして私たちは、潜在的にかまいたちなんだなと思う。どういうことか。

 私自身、こんなエピソードトークがある。

 名古屋の大学生だった私が、夜遅く下校したときのことだ。あまりに夜遅く、名古屋駅が施錠されており、通り抜けられなかった。多くの人が、駅の向こう側に行きあぐねてた。私も同様に、その状況にたじろいでうろついて狼狽えてた。人に尋ねたかった。「駅西にはどうすれば行けますか?」

 身近に「男性」が見当たらず、女性に声を掛けてしまった。「すみません!」。その人は端的には「無視」した。去りかけた。最低なことに私は続けざまに発した。「あの…駅西にはどうすれば行けますか?」。するとその人は踵を返し、本当に丁寧に教えてくれた。スマホを参照しながら、道順を教えてくださった。本当に丁寧に。礼を言い、謙遜をされ、別れた。

 別れ際にハッとした。私は、自分の存在自体がつねにすでに含有している加害者性(「妖怪」性)を、忘れてしまっていたのだ。ストリートナンパ、キャットコーリング、ストーキング。(多くの)女性にとっては、少なくともその人にとっては、深夜1人で歩いてるときに知らない男性から声を掛けられるのは、かまいたちだったのだろうと思う。日本に伝わる男性像ないしそれが起こす怪異であり、街で現れて女性を言葉で切りつけ、これに出遭った女性は刃物で切られたような鋭い傷を受ける—。つねにすでに「超無敵」な存在だったのだ。

 「ノットオールメン」「俺はそんなことし(て)ない」「そんな意図はない」「そんなことすると思うなんて心外だ」。そのようなロジックで「自分の加害者性の被害者になって辛いの…」という語りをする妖怪は風に乗って山へと帰った方がいいのだと思う。自分がもつ加害者性は、攻撃に転化するのではなく,自己批判や自分と同種の妖怪・怪異批判へと昇華しないといけないだろう。

 その後、教わった道(地下道)を歩いた。すると、先ほど駅で私と同様に抜け道に窮していた「女性」の大学生2人(女子大生でもJDでもなく)に出遭った。道を知っている3人が駅西へ歩く。ふいに訊かれた。「近くにカラオケありませんか?」。

 場所を教え、ともに地下道を抜ける。2人はさっき近くのライブハウスで見たライブをとてもうれしそうに、にこにこ語る。知ってるミュージシャンだった。ライブのMCの面白さやボーカルの可愛さ、演奏の上手さ、最近のコラボの意外さなどを聴いて歩いた。「そうそう!そこが最高で!!」。地下道に3人の声。駅西に抜けてカラオケが見えたから、謙遜とお礼を交わして別れた。この人たちにとって、そして「女性」にとって、自分が少しでも「わたしに無害なひと」であることを願いながら歩き、別れ、歩いて、着いた。何気なく経験される一人の人でありたかった。

 自分の妖怪性を顕在化させた直後だったこともあり、私が少しでも「男性なのに妖怪じゃないみたいな人」という1人になれたらと、妖怪として強く思った。つねにすでにフェミニスト足りえないけど、少しでもマシでいようとするのが妖怪の責務だと思う。ヒロイックに「男性フェミニスト」を自称しないようにしながら、自分の加害者性の被害者ぶらないようにしながら。

 オチもスカッともない話。けど、かまいたちがするエピソードトークにオチなんて要らない。

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このエッセイを書いた人

理不尽さについて聴く、書く、考える、話すことができたらと思う|フェミニズム、セクマイ、ジェンダー、ハラスメントなどなど

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