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自由に小説くらい読みたいのに。

久しぶりに小説を読んだら、ものすごく楽しかった。
どうして今まで触れてこなかったんだろうと残念に思うくらいだった。
元々、私は小説特有の没入感が好きで、小学生の頃は授業中にもこっそり読んだり下校しながら読んだりするほどに本が好きだった事を思い出した。

本が読みづらくなったのは中学生に上がってからだ。

中学に上がって、中高一貫の学校だったから付属図書館には高校生向けの本も置いてあって、児童書以外の本に触れることになった。それが一番の理由だと思う。
偶然なのか、それとも元から日本文学というジャンルには性暴力描写が入ることが多いのか、ランダムに読む本を選んでいたら、そういう場面の有る本ばかりに多くぶつかってしまい、読んでも気分が悪くなるので読めなくなってしまった。

ランダムに選ぶと、女性である主人公が同意の無い性行為を強要されていたり、主人公が苛立ち紛れに女性に暴行していたり、はたまた主人公の父親が主人公の意中の女性をレイプしていたりと、とにかく女性が暴力を振るわれる場面によく遭遇するのだ。

暴力を振るわれる描写の全てが悪いわけではない。
ただ、それを被害者であるキャラクターの「人生の汚点」として描写したり、加害者のキャラクターの「お茶目ポイント」として描いていたり、女性蔑視的な視線が入るとなると話は違ってくる。それに、事前に「性暴力の描写があるのでご注意ください」などという注意書きがあれば良いが、そういったものは基本的には無いのだ。
読者はいきなり「それ」にぶち当たることになる。

児童書以外の本に触れるようになってから、むやみに小説に手を出すのが怖くてなかなか読むことが出来ずにいた。
女性蔑視的な表現に出会うのが怖くて、フェミニズム界隈で「良い」と太鼓判を押された本にしか安心して手が出せなくなってしまった。それか、性暴力の描写が基本的にない、児童書くらいにしか。

漫画や映画でも性暴力だったり女性蔑視的な表現のきつい作品は有るのだろうが、読んだり観たりする前から大体の粗筋がわかるので回避しやすい気がする。また、観て嫌な描写があっても基本的に傷が浅いうちに回避が出来てダメージが少ないから気軽に手を出せるように思う。

小説の怖いところは、たとえ暴力描写があってもそこにたどり着くまではそれに気付きにくいところだ。実際にその部分を読んで目を通して見ないと、文字以外の視覚情報がないのでどこに嫌な描写が埋まっているのか判別がつかない。しかもそれに気がついたときにはもうがっつり物語に入り込んでしまっていて、なかなか後戻りがきかないのだ。
小説の良いところは、主人公の感覚を文章で追体験することによって、深く物語に入り込めるところだと思う。でも、毒が混じっていた時にダメージが大きいのもこの方法。

もうノーガードで気になる本を選ぶことが出来ない。この人なら大丈夫、と安心出来るような作者の本にしか手が伸びないし、フェミニズムに興味がある、比較的感覚が近い女性蔑視描写が苦手な人間の意見が本当にありがたい。

ランダムで選ぶとぶち当たってしまうくらいには女性蔑視的な表現が溢れていて、そのせいで小説が好きなのに自由に読めない。それがとても残念で、自由に本を選んでも安心出来るように、社会的なマイノリティへの差別業限がある時にはせめて冒頭部分での注意書きが有ったりとか、その位の配慮があるのがスタンダードだったら楽しめるのになと思ってしまう。

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このエッセイを書いた人

they/them ノンバイナリー。はっぴーくぃあぎゃる。

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