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子供を作る気持ちがない人間の疎外されてる感

私は、将来子供を産むつもりがない。

自分の時間や健康を犠牲にして、人間を召喚しお世話したいとは全く思わない。それに召喚される人間側だって、別に生まれてきたいとか生まれたくないとか選べる訳ではないのだから、生むこと自体が親のエゴだなと思う。
子供を産むという選択肢が、自分の人生の中にはない。
だから、子宮なんて取り去ってしまいたいと思うし、女性ならいつかは子供を作るだろうという前提で話を進めないで、と思うのだ。

たとえば最近の話で言えば、就活で企業の話を聞いたとき。

「女性が働きやすい職場」という言葉に込められた、「育休も産休もしやすいし、休んだ後でも復帰できるよ」というメッセージ。

そりゃあ、いざという時休んだ後でも復帰できる環境は、そうじゃないよりもずっと良いだろう。私の親世代くらいの人達は、結婚したら退職させられたり、産休育休を取って戻ってきたらもう職場に居場所がなかったりしたりして、それを思うと、「育休も産休もしやすいし、休んだ後でも復帰できるよ」も、良いことなのだろうなと思う。
でも、「女性」とひとくくりにしなくても。と思ってしまう。
「女性が働きやすい職場」って、それ、「女性」じゃなくて「親になる人」が働きやすい職場、ではないのか。母親に限らず子供に何かあった時に保護者がすぐに行ける職場の方が好ましいし、そこに性別は関係ないはずだ。会社には子供の親である人間が沢山いるのに、母親ばかりが子供の世話役としてクローズアップされている。
「女性」=「親になる人」という意味の含ませ方は、未だに「家事育児=女性のもの」という固定観念に縛られている気がする。

それが、たまらなく嫌だ。

女性だからといって、子供を持ちたいと全員が思うとも限らないのに、なんて無茶な偏見なんだ。

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このエッセイを書いた人

they/them ノンバイナリー。はっぴーくぃあぎゃる。

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